橙色と泡
深い、深い青色の空に、橙色がヒビとなって広がっている。晴れた日の夕焼けは誰もが美しいと思うだろうけれど、僕はその夕焼けが終わる直前――橙色が消え始める頃の空が、一番好きだ。朝焼けも同様に好きになれるのだろうけれど、僕は早朝に目を覚ます性分ではないから、いつも夕焼けを目にしている。
[続きを読む]深い、深い青色の空に、橙色がヒビとなって広がっている。晴れた日の夕焼けは誰もが美しいと思うだろうけれど、僕はその夕焼けが終わる直前――橙色が消え始める頃の空が、一番好きだ。朝焼けも同様に好きになれるのだろうけれど、僕は早朝に目を覚ます性分ではないから、いつも夕焼けを目にしている。
[続きを読む]就職活動も終わり、長かった大学生活も末端が見えてきた。モラトリアムは閉じて、人は地を蹴って進む。蝋で固めた翼を広げて、それが溶けぬ夜のうちに、月へ向けて飛び立たんとするのである。
[続きを読む]Hugo、便利ですよね。当ブログはHugoを使って作成していますし、私が管理しているいくつかのサイトでも積極的にHugoを採用しています。
少なくとも管理者が一人である限り、HugoのようなStatic Site Generatorはメチャクチャ強力だと思っています1。
さて、そんなHugoですが、0.60.0からCommonMarkに準拠したgoldmarkと呼ばれるMarkdownパーサー2をデフォルトで使うようになりました。
その結果、いくつかの機能が非推奨になったり変更が加えられたりしています。その影響を受けるものの一つがMarkdownのテーブルです。
ちょっとしたご報告です。
つい先日、GitLab.comのBronzeメンバーになりました。
以前からGitLabはプライベートグループや自前インスタンス等でお世話になっていて、正直GitHubよりも好きです。プロプラの塊たるGitHubと違い、コア部分は自由ソフトウェアだし。そんなわけで、これからも頑張ってほしいという思いを込めてGitLab.comの有償プランをポチッとした次第です。
最近、特にオープンソースという言葉の乱用についてよく考えます。理由は単純で、その結果もたらされるFLOSSの未来が不安だから。
少し長いうえ、序盤から後半にかけての流れが冗長かもしれません。駄文かもしれませんが、自分の考えを整理するのも含め、一度自分の抱えている不安について書いてみます。
私は自由ソフトウェアの思想が好きです。私が物心ついた時には、用途問わず自由に利用できるライブラリやフレームワーク、ソフトウェアが既に多数ありました。さらに、プロプライエタリに匹敵、あるいは凌駕する偉大な自由ソフトウェアの数々を見てきました1。GNUのウェブサイトを読んで、素晴らしい思想だとも思いました2。
GPLを好んで使うかはともかくとして、少なくとも、誰であっても差別なく自由に再配布、改造、組み込み、利用できるソフトウェアというのは、本当に価値があることです。そういった自由のあるものにこそ、人は協力するのが良いと考えています3。
人がわざわざ車輪の再開発をする必要は(独占を防ぐ等の一部程度で)ほぼありません4。もし自由ソフトウェアがなければ、各々は自分たちで全て手作りする必要があったでしょう。あるいは、高額な金を払って何らかのライブラリやフレームワークを買うかです(かつてはコンパイラすら高額だったように)。結果として、実質的に開発できるのは膨大な資本力と体力がある一部の企業に限られ、それ以外の中小は末端の仕事しかできなくなります。そうなると、自由に誰もが参入して発展させられる場所はないでしょう。進歩の速度は低下し、ITの導入は高額になり、多くの人の興味を削ぐ。プログラミングをするのに鉱山を削ったり物資を調達する必要はほぼないにも関わらず、です。
自由ソフトウェアの概念が発達したおかげで、人々は多くのソースコードを大手を振って共有することができるようになりました。そして現在のように、誰もが気軽に高品質なソフトウェアを書ける世界ができたわけです。何より、自由ソフトウェアはその開発者が開発を止めてしまったとしても別の誰かによって開発を継続させられます。これは(A)GPLが目指した理想の一つです。プロプライエタリは作者の死後70年まで誰もメンテナンスできないのと対象的ですね。
その他にも自由ソフトウェアの利点は挙げられますが、とにかく、様々な利点を我々は享受しています。
昨日の夜のことです。大学からの帰路、駅のホームにやってきた電車へ乗ろうとしたとき、それはやってきました。
キーンという高い音。耳鳴りです。みなさんもよく経験があると思います。まさか耳鳴りを経験したことがないという方はいらっしゃらないでしょう。
私だってそうでした。ふむ、耳鳴りか、と気にも留めず、さっさと電車に乗り込みます。
しかし、数分後にはすっかりこの耳鳴りのことが頭から離れなくなってしまいました。そう、一向に収まる気配がないのです。乗り換えのためにホームに降りても、別の電車に乗っても、とうとう自宅の最寄り駅のホームに降りても、耳鳴りは収まりません。
はて、困りました。自宅に帰って、お風呂に入って、布団に入ってみます。治りません。これは一大事だぞと、明日病院に行かねばと決心してその日は寝ました。
そして今日。耳鳴りは落ち着いていたものの、プールの水が左耳に入ったままのような、そんな違和感を感じます。病院へ行って聴力検査を受けたところ、予想通りというか、我が左耳は高音を聴き取ることができないようになってしまっていたのでした。つまり人力ハイカット状態で、これが耳の違和感と耳鳴りの原因だったわけです。
医師の方から直接病名を伺うことはできなかった1のですが、これが所謂突発性難聴なのかもしれません。二十代前半の私がそんな病にかかるなんて日頃どれだけストレスを抱えているんだと言われそうですが、そうですよ、私は健常者と比べて現代社会に抱く怒りと悲しみが人一倍強いのですから2、さもありなんと納得すらしてしまいます。