秋の夜、海沿い、ドライブ


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夜、ドライブに繰り出す

人間、ひょんなことから唐突に行動を起こすことがある。ゴミを踏んだのをきっかけに部屋全体の掃除を始めたり、不快なニュースの見出しを読んだのをきっかけにSNSで憂さ晴らしを始めたりするし、あるいは何の気なしにドライブに行きたいと友人へ言ったらとんとん拍子に話が進んですぐ行くことになったりもする。
今回の私はまさにこれだった。晩御飯を食べ終えた夕暮れに、ふと浮かんだドライブという言葉1。まあ断られるだろうなと思って友人Aに声をかけると、思っていた以上に反応がいい。さらに友人Bも巻き込んで(彼が車を出してくれることになった)、気が付けば品川駅東口に立っている自分がいた。
夜の街へ誘うキャッチの人々を横目に同乗者の友人を待つ。が、なかなかやってこない。暇なので、数日前まで話題になっていた回廊を眺めてみる。柱の上部に設置されている複数台のディスプレイから流れているのは天気予報や無難なものばかりで、一人たりとも画面へ注意を向けていない。まったく、どうでもいいものに対しては誰だって寛容でいられるものだ。

結局、集合時刻を15分ほど過ぎてAがやってきた。Bはとっくに集合場所に着いていて、道路沿いで気を揉んでいる様子がチャット経由で飛んできている。その旨をAに伝えると、え、集合時間なんてあったんだ、と答えた。計画性に欠けた我々としては、まあ大方予定通りだろう。

取り急ぎBの車内に転がり込むと、Bが行先を尋ねてきた。まずは品川ふ頭を目指そう、橋とか見えて夜景デートにはぴったりの穴場 (・・) らしいからと、検索結果最上位のサイトを読みながら私が言う。そうやって最初の行先はあっさり決まった。

車内では、ラノベの賞に応募した作品についての不安だとか、立ち並ぶタワマンやビルらへの感想だとか、他愛もない話をした。とはいえふ頭は駅から近い。話し終える間もなく目的地へと着いた。
すると、柵越しに広がるレインボーブリッジとビルの夜景をバックにして、広々とした道路脇に停まる高級そうなスポーツカーらの奥に、派手なバイクとバイカーたちが集結している異様な光景が目に入ってきた。バイク(及びイカつそうな人々)の鑑賞が趣味でない限り、どう考えてもデートには向いていなさそうである。案の定、私たちが来てすぐにスポーツカーたちはそそくさと場を後にしてしまった。
ふ頭がバイカーが集まる場に変容したのか、たまたまその日のその時間だけ集まっていたのかは定かではない。が、かくも人間は逞しく生きているし、階級問わず、こんな情勢下でも人々は様々な形で思い出を作ろうとしているのだと思うと、少し不思議な気持ちになる。

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柵越しに夜景を撮影していると、背後では若い男二人ががガードレールの上に登って柵に区切られない夜景を撮影していた。しがらみを越えるということはこういうことなのかもしれない2。彼らの撮った夜景をいつか見てみたいものだ。
いくつか撮影したりバイクの排気音を感じたりして、私たちは次の場所に向かうことにした。

ふ頭の工場は味がある

ふ頭の工場は味がある

どこに行くかをしばらく話し合った後、お台場に行ってみようという話になる。道を間違えたりと紆余曲折あったものの、長いレインボーブリッジを越えて3、目的地へと無事に辿り着いた。しかし、湾岸を歩こうとした我々の前に大きな壁が立ちふさがる。そう、TOKYO2020である。
デカデカと2020と書かれた真っ白な壁が湾岸沿いの公園を塞ぐように張り巡らされていて、全員が意気消沈した。近くに立つタワマン住民も気の毒だ。近くにあった表示を読むと、オリンピックの準備工事のため閉鎖されているようだった。柵の切れ目から、恨めし気に閉鎖された公園内を覗いてみる。積み上げられた資材と放置されたバケツが見えた。物悲しいものだ。

仕方ないので、柵の反対側にある公園で無念を晴らすことにした。遊具が幼児用でないかを確認し、久々にブランコを漕ぐ。ぐんと速度が上がると、妙に恐怖とスリル感が刺激された。こんなにも刺激的な乗り物だったか、と不思議に思いながら足を折りたたむと、急に怖さが減ったのはアハ体験だった。どうやら長年乗らずにいると、漕ぎ方まで失念してしまうらしい。
一通り遊具を試してみたが、一番楽しいのはブランコだという結論に達した。やはりプリミティブな楽しさというのは歳を重ねても通用するもののようだ4

そこから我々は移動して、ようやく壁のない場所を発見する。駐車場に車を停めて遠くを見ると、雲を橙色に照らす東京タワーの姿が見えた。綺麗というよりもいくらか不気味である。ゲームであれば上空から悪魔の類が召喚されるのだろう。まあ、これはこれで良い。

独特の不気味さが感じられる

独特の不気味さが感じられる

湾岸へ下ると、談笑するカップルらや「エモい」と連呼する謎の集団が海を眺めながら座っていた。それを見たAは風に当てられたのか、人間的魅力が欲しいと唐突に呟く。こちらからするとAには十分魅力があるように思えるのだが、本人はそうでないらしい。さざ波を眺めるカップルのような関係が欲しいということだろうか。つくづく願いは人それぞれだなと思う。夜の海辺という非日常感もあってか、遊歩道を歩きながらの雑談は弾んだ。こうなると会話するだけで楽しいものだ。
ところで、お台場は潮の香りがかなり薄いことに気が付いた。ふ頭ではしっかり感じられたのだが、少し場所が変わるだけでこんなにも違うとは驚きである。

落ち着いた空間

落ち着いた空間

それから小さな自由の女神を鑑賞して、雨に降られながらもマクドナルドでバーガーを買って食べた。深夜のバーガーほど背徳感に溢れる食べ物はないだろう。悪い道に進んでしまった、とAは嘆きながらチーズバーガーを頬張っていた。しかし食べ終わると幾分か満足げな表情をしている。チョロいものだ。

その後はぶらぶらと雑談交じりに散策をして、帰路につく。帰りの車内で最近流行りのうまぴょい伝説5を流すと、A、Bはすっかりご満悦のようだった。
湿った首都高を抜けて、それぞれのねぐらへと再び戻る。Aと別れると、Bは眠そうに息を吐きつつも私を住所の近くまで送ってくれた。手を振ってBと別れた後、感謝の念を込めてPayPayで若干多めに送金をしておく。いわゆるSDGsというものだ。

自室に戻ると、私は冷蔵庫から買い溜めた缶チューハイとカルパスを取り出し、パソコンとミラーレス一眼を繋いで撮った写真の整理を始める。そして、写真の向こうで笑うAやBの顔を見た。

秋の夜の静かなドライブ、穏やかな海沿いで交わした雑談、降られた雨の匂い……。

さっきまで身近にあったそれらは、既に画面の向こう側に行ってしまった。残ったのは、浴槽に張り付いた汚れのようなもどかしさのみである。
情勢や余裕的に、AやB、他の友人らと次に対面で会えるのはいつになるだろう。仮に今後会えたとしても、ライフステージや人生の変化を考えれば――果たして、雑談したり会ったりできるのは残り何回なのだろう。

パンデミックにより失われたのは、経済や行動の自由だけではない。残された人生と幸福の瞬間は、明らかに少ない。

結局、今を全力で楽しむしかないのだ。たとえそれが寄せては返す波のようなものだったとしても――人生の幸福とはきっと、そういうものなのだと思う。


  1. 元環境大臣もきっとこんな感じだったんでしょう。 ↩︎

  2. 決して否定的な意味ではない。 ↩︎

  3. 地味にレインボーブリッジを越えるのは初めての経験であった。 ↩︎

  4. SNSをする暇があるならブランコを漕いだ方がよっぽど生産的である。 ↩︎

  5. 個人的にはあまり好きな曲でないが、友人ウケはいい。 ↩︎