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『界の軌跡(PS5)』クリア後の感想

前書き

軌跡シリーズとの出会い

感想を書いていく前に、少しだけ自分語りをしたいと思う。久々の感想記事で思わず筆が乗ってしまい、消すのも勿体ないのでデフォルト非表示として置いておく。

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最近の人生について(2024年)

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人生と夏、来たる30代を見据えて

社会人になったのが2021年のこと。上京と初めての一人暮らしでドギマギしながらの新生活に揉まれ、会社の同期や先輩・後輩社員の方々にも恵まれた勤労を甘受しているうちに、気がつけば月日が経過していた。

それが私の人生においてどれくらいのインパクトであったかは、このブログの直近三年くらいを見返していただけるとお分かりいただけると思う。大学(院)を卒業した2021年春以降、急速に更新が衰えていたのがなぜかは言うまでもない。
とはいえ、最初の一年はなんだかんだ余裕があった……というより、あらゆるものが刺激的すぎて、体や精神が疲れを感じなかったと言うべきか。一人暮らししてすぐの頃、カレーを作ろうとして指を切り落としかけたこと1。今なお残るコロナウイルスによる災害に「灯火管制」とも揶揄された外出制限2。記事にもしたが、初めて夜のお台場をドライブした時の興奮と感動3。緊急事態宣言解除後の開放感、初めてのヒトカラ、初めてのチーム飲み会、初めてのカーシェアリング。初めての、初めての……。

そうやって毎日を生きているうちに、二度、三度と年を跨いでいた。今や友人とのドライブは珍しくもなく、新鮮に思えた都会の夜景も、今となっては地を這うゴキブリやネズミの方に気を取られるくらいには陳腐になった。複雑怪奇でミステリアスだったはずの都心の路線も、今ではなんとなく把握できてしまっている。今や少しばかりの刺激よりかは、空調の効いた部屋で寝転ぶ方に気持ちが傾く有様だ4

悪い成長に思い至りやすい一方、良き成長ももちろんあった。比較的些細なことについての神経質さは薄れて、ほんの少しだけ図太くなれた気がする。とはいえ相変わらずメンタルが豆腐なので、種類が絹から木綿に変わったくらいの感覚だが。

ともかく、こうした変化を以て「大人になったねえ」などと言い切ってしまって良いものか。人生そんなものだよと笑う自分もいれば、そう易々と言い訳に逃げるんじゃないよだなんて、冷ややかな目で制する自分もいる。

まあ、全てではないにせよ、かなりの部分が「大人」になってしまったのは事実だろう。これは悟りというよりかは、半ば諦めに近い。

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長距離ウォーキングずんだもん動画を作ってみた感想

唐突な長距離ウォーキングへの欲求

去る2023年の年末、私は、唐突に「歩きたい」という欲求に駆られました。
「散歩なんか普通だろ、とっととやれ」という感想を持たれた方も多いと思いますが、いやいや、そんなレベルの「歩きたい」ではなかったのです。より強力な、いわば「自分の限界を超えるくらいの長距離を歩きたい」という欲求でした。

なぜそんなことを思ったのか? それは、この世の中が余りにもしんどすぎるため1、いっそ限界を越えたらどうなるんだろう(見える世界が変わったりするんだろうか?)という知的好奇心によるものです。「どうせ生きているだけで心がキュッと絞られるようなことが多いし、もう握りつぶす勢いでやってみたらどうか」的なメンヘラ特有の精神ムーブ2であることは否めませんが、とにかく、生まれた衝動が冷めぬうちに仲間内からも参加者を募ったところ、無事に数人で長距離ウォーキングを決行することになりました。私と同様、友人らも人生への疲れと救済を求めていたのかもしれません。

この記事では、その計画から実行までの経緯と結果と、歩いている際の映像をずんだもん動画に編集した事例についてご紹介します。

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二十三区の外側で

この短編は 百合SS Advent Calendar 2023 の 二十三日目向けに出すはずだったものです。三か月遅れて気が付けば春になっていたので、舞台設定も春です。

遅れて申し訳ありませんでした。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

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幕間、異国で

バス停からの山道を登って老街ラオジェに着いた頃には、もう陽が落ちてきていた。薄い霧に混じった小雨が、ベージュの半袖から飛び出した腕に何本かの線をつけて滴る。老街のあちこちにぶら下がる提灯は霧越しにぼんやりとした光を放っていて、きっと、晴れた日に見えるそれよりも幾分か綺麗だ……なんて思えるのは、私の心境のせいだろうか。つくづく、綺麗という感性は極めて主観的だなと思う。

つまるところ、人の認識というのは幻想だ。陽の位置や天気といった現象も、感覚器官の刺激を脳が処理して初めて認識される。極端なことを言えば、夜を明るいと感じる人にとっては毎日が白夜だろうし、雨好きにとっての豪雨は多数派にとっての快晴と同じ立ち位置なんだろう。それが客観的に正しいかどうかなんて、本人にとって極めてどうでもいいことだから。

よって、隣で年甲斐もなくはしゃいでいる友人――一緒に海外旅行にまで来たリンとカナにモヤモヤとした感情を抱いてしまうのも、私が私である以上は仕方がないことなんだと思う。嫌いになったとか退屈とかそういうものじゃなくて、とにかくこう、言語化できず掴みどころのない不快感だけが認識にあるというか。言うなれば、絡みついて離れない粘っこい霧のような。

「めっちゃええ街やん!」

リンは感嘆の声を漏らしながら、ミラーレス一眼でしきりに建物や人流を撮影している。肩出しのカットソーの彼女がカメラを振り回している一方、道の隅に立つカナはダボ袖を捲ってタバコに火をつけようとしていた。

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秋の夜、海沿い、ドライブ

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夜、ドライブに繰り出す

人間、ひょんなことから唐突に行動を起こすことがある。ゴミを踏んだのをきっかけに部屋全体の掃除を始めたり、不快なニュースの見出しを読んだのをきっかけにSNSで憂さ晴らしを始めたりするし、あるいは何の気なしにドライブに行きたいと友人へ言ったらとんとん拍子に話が進んですぐ行くことになったりもする。
今回の私はまさにこれだった。晩御飯を食べ終えた夕暮れに、ふと浮かんだドライブという言葉1。まあ断られるだろうなと思って友人Aに声をかけると、思っていた以上に反応がいい。さらに友人Bも巻き込んで(彼が車を出してくれることになった)、気が付けば品川駅東口に立っている自分がいた。
夜の街へ誘うキャッチの人々を横目に同乗者の友人を待つ。が、なかなかやってこない。暇なので、数日前まで話題になっていた回廊を眺めてみる。柱の上部に設置されている複数台のディスプレイから流れているのは天気予報や無難なものばかりで、一人たりとも画面へ注意を向けていない。まったく、どうでもいいものに対しては誰だって寛容でいられるものだ。

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大学生活の振り返り

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長いようで短かった6年間

去る金曜日に、6年間在籍していた大学を修士でようやく卒業しました。2年前の学士卒業の時は全く感慨を感じなかったのですが(そのまま院に上がったので当然と言えば当然)、今回は大学を去るためかそれなりに感じるものがありました。

学生生活を、ゆるく振り返ってみます。

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親切さと防衛機制

情けは人の為ならず

先日、D・カーネギー著の『人を動かす』という本を読みました。
内容をざっくり要約すると、相手を動かしたいなら批判を避けよ、親切になれ、相手の立場で物事を考えろ……というように、考えてみれば当たり前のことばかりが書かれています。
しかし、この本のよいところは、きちんと具体例(実際の事例)が記述してあるという点です。
読めば読むほど納得感が出てくる仕組みになっていて、読後は「明日から人には優しくしよう」という気持ちになれます。
親切は巡り巡って自分にとって利益になる。いわゆる『情けは人の為ならず』『取らんと欲する者は先ず与えよ』『三方よし』というやつですね。
私もこれらを理解していたつもりではありましたが、いざ『人を動かす』を読んで実際の事例に触れてみると、ますます他人へ優しくしようと思えてきたのです。感情論ではなく、明確な実利があるのですから。

これだけ読むと、そりゃあいい考えじゃないか、とっとと優しく生きていけよ、と思う方も多いと思います。
ただ、やはりと言うか、これがなかなか難しいのです。

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