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浮かんだ泡のように

橙色と泡

深い、深い青色の空に、橙色がヒビとなって広がっている。晴れた日の夕焼けは誰もが美しいと思うだろうけれど、僕はその夕焼けが終わる直前――橙色が消え始める頃の空が、一番好きだ。朝焼けも同様に好きになれるのだろうけれど、僕は早朝に目を覚ます性分ではないから、いつも夕焼けを目にしている。

でも、どうして好きなのだろうと考えると、いろんな答えが頭を巡って、どう結論づけるべきか迷ってしまう。青色と橙色のコントラストが美しいから。消える瞬間に儚さを覚えるから。あるいは、何となく。どれも正しいような気もするし、間違っているような気もする。うん、きっとそれが答えなのだろう。ゼロイチで決まることではなくて、様々な感性と経験のうねりによって、好きという言葉が導出されるのだと思う。

ただ、橙色に光るヒビを空に見つけると、毎回思い出すことがある。それは、家族や、サークルの友人たちと一緒に行ったキャンプ場で見た、炭火の色だ。 夜の暗がりの中、黒色の炭の後ろでぼうっと光る橙色の光。炭のヒビからちらちらと炎も見えて、そこから発せられた光が周りにいる人の顔を照らす。照らされる顔は千差万別だ。笑う顔、渋い顔、儚げな顔。いろいろな顔と一緒に、炭火を囲んでいたという記憶。ぱちぱち、と炭が爆ぜる音も蘇ってくる。 空のヒビを見ると、その光景が頭の中に泡のように浮かんで、僕はなんだか温かい気持ちになるのだ。それは僕にとって『好き』とは少し違う感覚で、言葉にするなら、いわゆる『幸せ』と形容されるものだと思う。……いや、もしかすると、『幸せになれるから好き』、なのかもしれない。

ふわふわとした、心地の良い幸せ。空の炭火は徐々に大きな記憶の泡となって、頭の中から外へ漏れ出して、僕を包んで浮かせてくれる。泡の中で僕は、纏っていた重苦しいいろいろを捨てて、裸の生身となって、炭火の向こうに見えた幸せを手にすることができるのだ。泡がそのまま空へ連れて行ってくれたら、僕は幸せであり続けられるのだろう。きっと、二度と戻ってこられないほどに。

でも、それは長く続かない。続かないのだ。空を見るのを止めても、しばらくは泡の中で生きていられる。けれど、泡は何かの拍子にさっぱり弾けてしまう。 きっかけはいろいろだ。テレビのニュース。人との会話。映画。アニメ。小説。泡の幸せは、ぱちり、という音と共に消える。残るのは、自分だけ。

泡から放り出された僕は、惨めだ。防具を失った冒険者が敵にボコボコにされるように、泡を失った僕は無防備で、現実の鋭さに耐えられない。矢のように、針のように、現実は僕を貫こうとする。それも手足ではなくて、自分が自分である証明、心を、現実が突き刺す。

悲鳴は上がらない。現実と過去の間では、救いはない。自身の過去を自身で否定することはできないからだ。同様に、現実は受け入れるしかないからだ。
悲鳴は上がらない。自分自身を見つめることは、自分自身の発見にしかならない。空に浮かんだヒビの向こうには、自身の憐憫しか残っていないからだ。

分かっている。分かっているのだ。安易な救いは許されない。僕は精神を病んでいる。でも、それでも、僕は生きる道を選んだのだ。 だから、もし、『幸せになれるから好き』が真なのだとしたら、僕の泡は、橙色のヒビは、汚い自己愛でしかないのだろうか。

とすれば、空に大好きなヒビを見つけたとき、僕は一体何を思えばいいのだろう。

夜、昼間の温もりがかすかに残る部屋でベッドに倒れて、まどろみの中で、僕はずっと考えている。 深い、深い青色の空に、ヒビとなって広がる橙色のことを。二度と戻らない、ずっと幸せで、とても大切な、自身の手垢にまみれた過去のことを。

今日、就職先を決める

就職と子供心

就職活動も終わり、長かった大学生活も末端が見えてきた。モラトリアムは閉じて、人は地を蹴って進む。蝋で固めた翼を広げて、それが溶けぬ夜のうちに、月へ向けて飛び立たんとするのである。

私は私自身に問いかける。

――夏が過ぎて冬を越えて、桜の蕾が何度膨らんでも、
私の中の子供心は、そのままでいてくれますか。


実のところ、私にとって、就職自体は特別なものではないのだ。

私にはやりたいことがある。思想がある。人間一人が為せることには限界があるから、企業という組織と協力して目的を達成したいと考えている。よって、就職自体が嫌とか、大学生活が失われてしまうという悲しみとか、そんなものはほとんど考えたことがない。 働くのが嫌だという言論の裏に動物的な滑稽さすら感じるほどに。『働く』とは人間社会と関わっていくということであり、すなわち『働く』の反対は『何もできない』である。『何もできない』ほど苦しいものはない。社会を恐れ布団で悶えて死んでいくくらいなら、いっそ外患誘致罪にでもなって極刑を課せられたほうがずっと良い。

ベンチャー企業でのアルバイト経験もあって、少なくとも志望している業界の範囲においては、社会がどのように動いているのか人並み程度に理解しているつもりだ。内定も複数いただいているので、後はどこが一番私の思想に適しているのか、各社インターンで見聞きした実情を加味しながら、自身と相談して決めるだけになっている。 ぶっちゃけた話、給与にもさほど興味がない。必要量だけあればよい。だが、一般に給与が高いということはそれだけ企業が社員を意識しており、つまり私の思想の実現というゴールへの近道である可能性が高いというだけの話だ。

さて、このように先へ進もうとする心がある一方で、私はその隅から、儚げに隙間風が吹くのも感じている。綺麗に張ったはずの障子に穴が空いているような、滑らかに積もった雪の斜面の中から雪を押しのけて狐が顔を出すような、むず痒くも可愛げのある、不思議な風だ。

その名を、子供心という。


コントロール不能な存在、つまり子供というのは恐怖である。同時に、何物にも代えがたい煌めきでもある。天真爛漫で、悪戯っぽく、疲れを知らぬほど活動的である。 それこそが子供の特権であり、存在意義に他ならない。仮に子供が全て理知的であったなら、人類はとっくの昔に絶滅しているだろう。人間にとって、理知の究極は自殺であるからだ。 大人が何故死なずに生きていられるのかというと、子供心があるからである。姿形は大人になろうと、その精神性、三つ子の魂百までとも呼ばれる心的本質は簡単には消えない。だからこそ死なずにいられるのである。煌めきとはそういうものだ。

だが、安心はできない。もしそれが失われ、現実と理知が直接対決しなければならなくなったとき、人間というものは自動的に負けてしまう。この世は不平等で、理不尽で、安易な救いを認めないのだから。そして、この世で暮らすうち、様々な要因で子供心は擦り減らされていく。例えば、私は大学三年生の夏、三日三晩一切動けなくなったことがある。あらゆる時間軸におけるこの世の万物に絶望し、食事も喉を通らず、ああ自分はここで死ぬのかとすら思ったものだ。 あの時、私の子供心は死にかけていたのである。幸い、当時は夜にだけ子供心が戻ってきてくれたおかげで何とか持ち直せた。

だが、同じことがもう一度起こったとしたら、残念ながら、私は次こそ死ぬかもしれない。子供心が減ることはあっても、もはや増えることはあるまい。私は既に子供ではないのである。私が医師から定期的に処方されているスルピリド錠が、客観的に私の状態を裏付けてくれるだろう。 故に、私が――いや、私の子供心が――危惧するのは、就職というきっかけによって、その心が致命的なまでに磨り減ってしまうのではないかという点である。 私の精神は強靭ではない。思想の強さでは負ける気がしないが、その癖打たれ弱い。学問的に言えばHSS型HSPで、俗語で言えばヘタレである。 突っ込むのは得意だが突っ込まれるのは苦手だ。

そんな私が就職によって心を擦り減らすことは想像に難くない。しかし、私はむしろ就職を望んでいる。だからこそ、子供心は隙間風となって私の前向きな精神にぶつかってくるのである。 子供らしい、何とも健気な抵抗ではないか。私はこの子供心を大切にしたいと思う。一方で、就職以後の生活に私自身が耐えきれるのかはやはり疑問であった。


だからこそ、私は私自身に問いかける。

――夏が過ぎて冬を越えて、桜の蕾が何度膨らんでも、
私の中の子供心は、そのままでいてくれますか。

そう尋ねる私の声を聞いて、あどけない私の心は、くすくすと笑いながら次のように返すのだ。

――さあね。それが分からないからきっと、僕は子供でいられるんじゃないかな。

この回答に対して私が次の質問を投げかけられるのは、当分先のことになりそうである。 そして、私はひとまず就職先を決めなければならない。だがこれは、子供心に対する私の思案に比べれば、赤子の手を捻るくらいに簡単なことなのだ。

Jitsi Meetの通知を左下から左上に変えるパッチ

Jitsi Meetの通知の位置がコントロールと被る問題

リモートワークが話題になるよりも前から、別のドメイン1で友人とのビデオ会議用にJitsi Meet2を運用していたのですが3、最近友人から「通知が左下に出るんだけど、コントロールと被って使いづらい」という話を聞きました。私は正直気にならなかったのですが、確認してみると……。

通知がコントロールを隠してしまう

通知がコントロールを隠してしまう

フムム、これは確かに使いづらいかもしれない4。しかし、通知の位置を修正するくらいならササッとできそうね。

というわけでスタイルをインスペクタで確認しつつ、パッチを作ってみました。雑ですが、とりあえず位置を変更できるはず。 Jitsi Meetをインストールした環境で、以下のコマンドを実行すればパッチを適用できます。私は jitsi/web のコンテナ上で試しました。バージョンは4384-1で試しています。

sed -i 's/.cjMOOK{bottom:calc(calc(40px + 24px))!important}/.cjMOOK{bottom: auto !important;top: 20px;left: 20px !important}.mIBKA,.gpUwQx{bottom: auto !important}/g' /usr/share/jitsi-meet/css/all.css

あらあら、!importantがギラギラと光っていますね。
兎にも角にも、適用するとこうなります。

通知の改善後

通知の改善後

通知を左上に移動させました。また、左からの間隔も少し狭めに修正しています。 雑な改善なので、複数通知がある際は上図のように重なって若干見た目がおかしくなっていますが、まあ実用上は問題ないと思います5

同じような悩みをお持ちの方は是非お試しあれ。お時間がある方は、もうちょっと改善してみると綺麗な表示にできるかもしれませんね。


  1. *.clvs7.com ではないです。念の為。別のサーバーで稼働させています。 ↩︎

  2. 詳細は https://jitsi.org/jitsi-meet/ 。インターフェースのソースコードは https://github.com/jitsi/jitsi-meet 。ライセンスはApache License 2.0。 ↩︎

  3. 最近、Zoomの脆弱性が騒がれた結果「Jitsi Meetはいいぞ!」という風潮が一部で出てきているようですが、それよりも前から注目していただけに何か嬉しいような寂しいような……。とりあえず、えっへん。 ↩︎

  4. 私は無意識のうちにOKを押して消していたので気にならなかったっぽい。 ↩︎

  5. 多分ね。 ↩︎

HDDの死期が近い

HDDが故障しかけている

つい先ほど、自宅にある母艦機(Windows)1が突然異様に重くなりまして、確認するとデータドライブへのアクセス待ちで時間を食っているようでした。 しかし、タスクマネージャーから確認すると、アクセス時間は100%でも実際に転送されているデータは全くありません。むむ、これはおかしいぞと久々にCrystalDiskInfoで確認してみると……。

壊れかけのHDD

壊れかけのHDD

アア……とうとう来たか……!

というわけで、間もなく臨終、大往生のようです。幸い重要なファイルのバックアップは取ってあるのでデータ的ダメージはさほどないのですが2、あると便利だけど無くても困らないビミョーなデータの扱いに困ります。というのも、この壊れかけのディスク、やたら時間をかければ読み出せないこともないっぽいのです。 いっそ読み出し不可になれば「しょうがないわナ」で済むところ、中途半端に読めてしまうのでいまいち諦めがつかず。結局、いくつかのビミョーデータを別のディスクへコピーすることにしました。300KB/sくらいの速度しか出ていませんが3、まあ仕方ないか……。

この結果はどうあれ、明日はHDDを買いに走ることになりそうです。出費が嵩むなあ。


  1. ゲームとか映像関係とか扱いたいときはどうしてもWindowsの方が便利だったりします……。開発面に関しては圧倒的にLinuxの方が使いやすいのですが。 ↩︎

  2. クラウド or GitHub/GitLab or 別のディスクへコピー済。多重バックアップは大事。 ↩︎

  3. もちろん、時折止まります。 ↩︎

HugoでMarkdownのテーブルに属性を付与する

HugoでMarkdownのテーブルに属性を付加する

Hugo、便利ですよね。当ブログはHugoを使って作成していますし、私が管理しているいくつかのサイトでも積極的にHugoを採用しています。 少なくとも管理者が一人である限り、HugoのようなStatic Site Generatorはメチャクチャ強力だと思っています1

さて、そんなHugoですが、0.60.0からCommonMarkに準拠したgoldmarkと呼ばれるMarkdownパーサー2をデフォルトで使うようになりました。 その結果、いくつかの機能が非推奨になったり変更が加えられたりしています。その影響を受けるものの一つがMarkdownのテーブルです。

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GitLab.comのBronzeメンバーになった

GitLab.comのBronzeメンバーになりました

ちょっとしたご報告です。

つい先日、GitLab.comのBronzeメンバーになりました。 以前からGitLabはプライベートグループや自前インスタンス等でお世話になっていて、正直GitHubよりも好きです。プロプラの塊たるGitHubと違い、コア部分は自由ソフトウェアだし。そんなわけで、これからも頑張ってほしいという思いを込めてGitLab.comの有償プランをポチッとした次第です。

GitLabのBillingページでの表示

GitLabのBillingページでの表示

といっても所詮Bronzeプランなので偉くなったとかそんなこともなく、Freeプランと比較してできることが格段に増えたというわけでもない(これはそれだけFreeも大切にされているという意味での褒め言葉です)のですが、生活が困窮しない限りは続けていく所存です。上位のSilverグレードはやや魅力的だけれど、個人向けではなさそう1……。

そんなどうでもいいご報告でした。ちなみにGitHubも引き続き使います2


  1. プライベートなnpmレジストリが持てたり、地味に便利そうな機能があるっぽいけれど、Silverプランは個人よりもグループ向けな気がしている(料金設定からしてGitHubのTeam Planへの対抗だろうし)ので、個人プランとしての旨味があるかと言われると正直微妙。私としては、GitLabが(Silverプランはプロプラになるにせよ)自由ソフトウェアとしての部分を大切にする限り、その哲学に対してお金を払おうかなと思っている。それでも、今後社会人になったときに「GitHubよりGitLabの方がいいっすよ」と言いづらい微妙な価格設定なのが惜しい : GitHub, GitLabSalesに連絡したら団体割引とかあるんだろうか。
    18日追記: Sales ページに “We don’t currently offer any discounts for the Enterprise subscriptions.” とあるので無さそう。うーん。 ↩︎

  2. コミュニティサイズは大きいし、Microsoft傘下に入ってからサービス内容も拡充された感があるので。それでも独占に対しては抵抗したい。 ↩︎

オープンソースという言葉の乱用についての不安

最近、特にオープンソースという言葉の乱用についてよく考えます。理由は単純で、その結果もたらされるFLOSSの未来が不安だから。

少し長いうえ、序盤から後半にかけての流れが冗長かもしれません。駄文かもしれませんが、自分の考えを整理するのも含め、一度自分の抱えている不安について書いてみます。


自由ソフトウェアの偉大さ

私は自由ソフトウェアの思想が好きです。私が物心ついた時には、用途問わず自由に利用できるライブラリやフレームワーク、ソフトウェアが既に多数ありました。さらに、プロプライエタリに匹敵、あるいは凌駕する偉大な自由ソフトウェアの数々を見てきました1。GNUのウェブサイトを読んで、素晴らしい思想だとも思いました2
GPLを好んで使うかはともかくとして、少なくとも、誰であっても差別なく自由に再配布、改造、組み込み、利用できるソフトウェアというのは、本当に価値があることです。そういった自由のあるものにこそ、人は協力するのが良いと考えています3

人がわざわざ車輪の再開発をする必要は(独占を防ぐ等の一部程度で)ほぼありません4。もし自由ソフトウェアがなければ、各々は自分たちで全て手作りする必要があったでしょう。あるいは、高額な金を払って何らかのライブラリやフレームワークを買うかです(かつてはコンパイラすら高額だったように)。結果として、実質的に開発できるのは膨大な資本力と体力がある一部の企業に限られ、それ以外の中小は末端の仕事しかできなくなります。そうなると、自由に誰もが参入して発展させられる場所はないでしょう。進歩の速度は低下し、ITの導入は高額になり、多くの人の興味を削ぐ。プログラミングをするのに鉱山を削ったり物資を調達する必要はほぼないにも関わらず、です。

自由ソフトウェアの概念が発達したおかげで、人々は多くのソースコードを大手を振って共有することができるようになりました。そして現在のように、誰もが気軽に高品質なソフトウェアを書ける世界ができたわけです。何より、自由ソフトウェアはその開発者が開発を止めてしまったとしても別の誰かによって開発を継続させられます。これは(A)GPLが目指した理想の一つです。プロプライエタリは作者の死後70年まで誰もメンテナンスできないのと対象的ですね。
その他にも自由ソフトウェアの利点は挙げられますが、とにかく、様々な利点を我々は享受しています。

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

新年ですね。あけましておめでとうございます。

……さて、お正月、終わってしまいましたね。 今日から平日ということで、皆様仕事や学業に戻られていることかと存じます。私もこの原稿を研究室で書いています。お正月に入る前は正月なんか暇なだけだしコード書いていた方がマシとすら思っていたものですが1、いざ終わってみるともうちょっとだけ暇になりたい……と思ってしまうのは怠惰の証ですね。よくない。私は走り出したら止まってはいけないタイプの人間のようです。


元旦は暇な自分が許せなくて、三島由紀夫の『金閣寺』を読んでいました。良い作品でした。私も金閣寺を焼きたくなった……のですが、三島由紀夫のその後を考えれば、焼いたところで世界は変わらないのでしょうね。残念なことですが。 でもって、もう一冊くらい積んである本を読みたかったのですが、なんだかんだ予定が入ってしまい読めず。春までにはもうちょっと読みたいところ。次はSFがいいかしら。『なめらかな世界と、その敵』2とか、東京で買って以来まだ読めていないのですよね。評判も上々なようで、楽しみにしています。近いうちに読もう3


初詣にて、例年通りおみくじを引いたら『半凶』というよく分からないものが出まして、セカンドオピニオンと称して再度別のお寺で引き直したら吉でした。どちらを信用すればよいのやら。調べてみると、半凶は凶より悪いそうです。ということは、間をとって末小吉くらいになるということでしょうか。 うーん、今年も楽には生きていけなさそうです。


そんなわけで、今年もほそぼそと生きていきます。また一年、よろしくお願いいたします。


  1. お正月自体は暇なだけだろうと思ってあんまり楽しみではなかった気がしますが、お正月に向けて浮かれている人々を眺めたり、その雰囲気に交じることは好きでした。 ↩︎

  2. https://www.amazon.co.jp/dp/4152098805 ↩︎

  3. フリじゃないですよ。 ↩︎

Flickr Proメンバーになった

Flickrは今、あなたの助けを必要としている

つい先ほどのこと。 何の気もなしにたまたまFlickrの公式ブログを閲覧していたら、『助けを求めている』というタイトルが目に飛び込んできた。一体何事かと記事1を開くと、Flickrを買収した親会社であるSmugmugのCEOによるもので、曰く「死に体だったFlickrを一度は救い、サーバーをAWSに移し替えて高速化するなど改善をしてきたし、今後も改善を続ける予定だけれど、肝心なお金がどんどん減ってきている。サービスの継続のためにも有料メンバーになって支援して欲しい」というものだった。

普段、私はこういった動きには冷静な方で「顧客に受け入れられないサービスは役目を終えたということなのだから、終了した方がお互いのためなのでは」と思いがちなタイプだ。 だが、今回については全く逆で「これはいけない、何とかせねば」とそのままFlickr Pro、つまり有料メンバーになってしまった。

なぜか。 それは、FlickrがCreative Commonsのような自由文化作品を広げようとする取り組みに対して大きな貢献をしてきたからだ。 Flickrには、Creative Commonsでライセンスされた自由に利用可能で高品質な写真の作品が多く存在する。これが失われるということは、人類にとって大きな損失だ。有力な代替は今の所存在しない気がする。有名なPixabayやUnsplashなどは不自由なライセンスを適用しており問題外だし2、そもそも当該サービスではライセンスに選択の余地がない。Flickrの代替としては全くふさわしくない。

私は自由が好きだ。Free of chargeではなく、FreedomとしてのFreeが好きだ。だから当然自由文化作品の思想は好きだし、こうした取り組みに大きな貢献をしてきたFlickrを応援したい。 それに、高価なデジタル一眼も持っていることだし、これをもっと使っていかないと勿体無い。Flickr Proになれば、写真を撮影して共有しようとする自分の意思をさらに強固にできるだろうという思いもある3。 そういうわけで、Flickr Proになった。

Flickr Proにはなりたてで、どれほど便利になったかはまだ検証しきれていない。が、アップロード枚数が無制限なのは目に見える特典だと思う。

このブログを読んでいただいている人の中で、自由を愛する、あるいは愛とまではいかないにせよ好きではある、という方がもしいらっしゃれば、年間約 $60 $70、つまり約 7000 8000円、寄付だと思ってFlickrに投げてやっていただけないだろうか。残念ながらソフトウェアの自由という意味では貢献にならないし、寄付にしては少し高めかもしれないけれど、写真という文化の自由を守るという意味では大きな意義があると思うのだ。

2020/01/22 追記

つい数時間前、Flickrからメールがやってきた。曰く、さらに価格を上げるとのこと。理由は上記の通りで、代わりに2020年にはさらなるサービスの改善を予定しているらしい4。 私は応援したい……が、少し不安でもある。フォーラムで意見を募っているので、意見がある人はそちらに参加するといいかもしれない5


  1. The world’s most-beloved, money-losing business needs your help, flickr blog, 2019年12月20日閲覧 ↩︎

  2. https://help.unsplash.com/en/articles/2612317-can-i-use-unsplash-photos-as-part-of-a-product-to-sellhttps://help.unsplash.com/en/articles/2612332-what-do-you-mean-by-compiling-photos-to-replicate-a-similar-or-competing-service が参考になる。端的に言うと、画像を競合サービスに使ってはいけない、そのままの状態で(あるいは変更をほとんど加えずに)販売してはいけないなどの制約が付いている。最大の問題は『競合サービス』『変更をほとんど加えず』の曖昧さだろう。例えば、GitHubにソフトウェアと一緒に画像をアップロードするのは良いのか悪いのか判断できない(ユーザーが画像をダウンロードできるという意味では競合と言える)。NG例として画像をクロールしてサービスを複製する行為が挙げられているが、それ以外については言及がない。コミュニティの感情次第でこの規定が乱用される可能性もあるため、個人的にはお勧めできない。不自由なライセンスだ。素直にCC-BYにしておけば解決できる問題なんじゃないかと個人的には思う。 ↩︎

  3. 何を隠そう、私は形から入るのが大好きな人間だ。 ↩︎

  4. What’s ahead for 2020, flickr blog, 2020年01月22日閲覧 ↩︎

  5. https://www.flickr.com/help/forum/en-us/72157712280985623/ ↩︎

耳鳴りと謙虚な精神

奴は突然やってきた

昨日の夜のことです。大学からの帰路、駅のホームにやってきた電車へ乗ろうとしたとき、それはやってきました。

キーンという高い音。耳鳴りです。みなさんもよく経験があると思います。まさか耳鳴りを経験したことがないという方はいらっしゃらないでしょう。 私だってそうでした。ふむ、耳鳴りか、と気にも留めず、さっさと電車に乗り込みます。 しかし、数分後にはすっかりこの耳鳴りのことが頭から離れなくなってしまいました。そう、一向に収まる気配がないのです。乗り換えのためにホームに降りても、別の電車に乗っても、とうとう自宅の最寄り駅のホームに降りても、耳鳴りは収まりません。
はて、困りました。自宅に帰って、お風呂に入って、布団に入ってみます。治りません。これは一大事だぞと、明日病院に行かねばと決心してその日は寝ました。

そして今日。耳鳴りは落ち着いていたものの、プールの水が左耳に入ったままのような、そんな違和感を感じます。病院へ行って聴力検査を受けたところ、予想通りというか、我が左耳は高音を聴き取ることができないようになってしまっていたのでした。つまり人力ハイカット状態で、これが耳の違和感と耳鳴りの原因だったわけです。
医師の方から直接病名を伺うことはできなかった1のですが、これが所謂突発性難聴なのかもしれません。二十代前半の私がそんな病にかかるなんて日頃どれだけストレスを抱えているんだと言われそうですが、そうですよ、私は健常者と比べて現代社会に抱く怒りと悲しみが人一倍強いのですから2、さもありなんと納得すらしてしまいます。

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