今日、就職先を決める


就職と子供心

就職活動も終わり、長かった大学生活も末端が見えてきた。モラトリアムは閉じて、人は地を蹴って進む。蝋で固めた翼を広げて、それが溶けぬ夜のうちに、月へ向けて飛び立たんとするのである。

私は私自身に問いかける。

――夏が過ぎて冬を越えて、桜の蕾が何度膨らんでも、
私の中の子供心は、そのままでいてくれますか。


実のところ、私にとって、就職自体は特別なものではないのだ。

私にはやりたいことがある。思想がある。人間一人が為せることには限界があるから、企業という組織と協力して目的を達成したいと考えている。よって、就職自体が嫌とか、大学生活が失われてしまうという悲しみとか、そんなものはほとんど考えたことがない。 働くのが嫌だという言論の裏に動物的な滑稽さすら感じるほどに。『働く』とは人間社会と関わっていくということであり、すなわち『働く』の反対は『何もできない』である。『何もできない』ほど苦しいものはない。社会を恐れ布団で悶えて死んでいくくらいなら、いっそ外患誘致罪にでもなって極刑を課せられたほうがずっと良い。

ベンチャー企業でのアルバイト経験もあって、少なくとも志望している業界の範囲においては、社会がどのように動いているのか人並み程度に理解しているつもりだ。内定も複数いただいているので、後はどこが一番私の思想に適しているのか、各社インターンで見聞きした実情を加味しながら、自身と相談して決めるだけになっている。 ぶっちゃけた話、給与にもさほど興味がない。必要量だけあればよい。だが、一般に給与が高いということはそれだけ企業が社員を意識しており、つまり私の思想の実現というゴールへの近道である可能性が高いというだけの話だ。

さて、このように先へ進もうとする心がある一方で、私はその隅から、儚げに隙間風が吹くのも感じている。綺麗に張ったはずの障子に穴が空いているような、滑らかに積もった雪の斜面の中から雪を押しのけて狐が顔を出すような、むず痒くも可愛げのある、不思議な風だ。

その名を、子供心という。


コントロール不能な存在、つまり子供というのは恐怖である。同時に、何物にも代えがたい煌めきでもある。天真爛漫で、悪戯っぽく、疲れを知らぬほど活動的である。 それこそが子供の特権であり、存在意義に他ならない。仮に子供が全て理知的であったなら、人類はとっくの昔に絶滅しているだろう。人間にとって、理知の究極は自殺であるからだ。 大人が何故死なずに生きていられるのかというと、子供心があるからである。姿形は大人になろうと、その精神性、三つ子の魂百までとも呼ばれる心的本質は簡単には消えない。だからこそ死なずにいられるのである。煌めきとはそういうものだ。

だが、安心はできない。もしそれが失われ、現実と理知が直接対決しなければならなくなったとき、人間というものは自動的に負けてしまう。この世は不平等で、理不尽で、安易な救いを認めないのだから。そして、この世で暮らすうち、様々な要因で子供心は擦り減らされていく。例えば、私は大学三年生の夏、三日三晩一切動けなくなったことがある。あらゆる時間軸におけるこの世の万物に絶望し、食事も喉を通らず、ああ自分はここで死ぬのかとすら思ったものだ。 あの時、私の子供心は死にかけていたのである。幸い、当時は夜にだけ子供心が戻ってきてくれたおかげで何とか持ち直せた。

だが、同じことがもう一度起こったとしたら、残念ながら、私は次こそ死ぬかもしれない。子供心が減ることはあっても、もはや増えることはあるまい。私は既に子供ではないのである。私が医師から定期的に処方されているスルピリド錠が、客観的に私の状態を裏付けてくれるだろう。 故に、私が――いや、私の子供心が――危惧するのは、就職というきっかけによって、その心が致命的なまでに磨り減ってしまうのではないかという点である。 私の精神は強靭ではない。思想の強さでは負ける気がしないが、その癖打たれ弱い。学問的に言えばHSS型HSPで、俗語で言えばヘタレである。 突っ込むのは得意だが突っ込まれるのは苦手だ。

そんな私が就職によって心を擦り減らすことは想像に難くない。しかし、私はむしろ就職を望んでいる。だからこそ、子供心は隙間風となって私の前向きな精神にぶつかってくるのである。 子供らしい、何とも健気な抵抗ではないか。私はこの子供心を大切にしたいと思う。一方で、就職以後の生活に私自身が耐えきれるのかはやはり疑問であった。


だからこそ、私は私自身に問いかける。

――夏が過ぎて冬を越えて、桜の蕾が何度膨らんでも、
私の中の子供心は、そのままでいてくれますか。

そう尋ねる私の声を聞いて、あどけない私の心は、くすくすと笑いながら次のように返すのだ。

――さあね。それが分からないからきっと、僕は子供でいられるんじゃないかな。

この回答に対して私が次の質問を投げかけられるのは、当分先のことになりそうである。 そして、私はひとまず就職先を決めなければならない。だがこれは、子供心に対する私の思案に比べれば、赤子の手を捻るくらいに簡単なことなのだ。