夢の無人島生活
「獲ったどー!」なんて、今の子供たちには通じないのかもしれない。でもきっと、大人の世代——20代以降の人間には、この言葉の意味が伝わるはずだ。答えは「無人島生活」である。
去る今年の夏、友人たちと無人島に一泊二日で過ごしてきたので、この記事ではその顛末を感想として残しておく。
[続きを読む]「獲ったどー!」なんて、今の子供たちには通じないのかもしれない。でもきっと、大人の世代——20代以降の人間には、この言葉の意味が伝わるはずだ。答えは「無人島生活」である。
去る今年の夏、友人たちと無人島に一泊二日で過ごしてきたので、この記事ではその顛末を感想として残しておく。
[続きを読む]社会人になったのが2021年のこと。上京と初めての一人暮らしでドギマギしながらの新生活に揉まれ、会社の同期や先輩・後輩社員の方々にも恵まれた勤労を甘受しているうちに、気がつけば月日が経過していた。
それが私の人生においてどれくらいのインパクトであったかは、このブログの直近三年くらいを見返していただけるとお分かりいただけると思う。大学(院)を卒業した2021年春以降、急速に更新が衰えていたのがなぜかは言うまでもない。
とはいえ、最初の一年はなんだかんだ余裕があった……というより、あらゆるものが刺激的すぎて、体や精神が疲れを感じなかったと言うべきか。一人暮らししてすぐの頃、カレーを作ろうとして指を切り落としかけたこと1。今なお残るコロナウイルスによる災害に「灯火管制」とも揶揄された外出制限2。記事にもしたが、初めて夜のお台場をドライブした時の興奮と感動3。緊急事態宣言解除後の開放感、初めてのヒトカラ、初めてのチーム飲み会、初めてのカーシェアリング。初めての、初めての……。
そうやって毎日を生きているうちに、二度、三度と年を跨いでいた。今や友人とのドライブは珍しくもなく、新鮮に思えた都会の夜景も、今となっては地を這うゴキブリやネズミの方に気を取られるくらいには陳腐になった。複雑怪奇でミステリアスだったはずの都心の路線も、今ではなんとなく把握できてしまっている。今や少しばかりの刺激よりかは、空調の効いた部屋で寝転ぶ方に気持ちが傾く有様だ4。
悪い成長に思い至りやすい一方、良き成長ももちろんあった。比較的些細なことについての神経質さは薄れて、ほんの少しだけ図太くなれた気がする。とはいえ相変わらずメンタルが豆腐なので、種類が絹から木綿に変わったくらいの感覚だが。
ともかく、こうした変化を以て「大人になったねえ」などと言い切ってしまって良いものか。人生そんなものだよと笑う自分もいれば、そう易々と言い訳に逃げるんじゃないよだなんて、冷ややかな目で制する自分もいる。
まあ、全てではないにせよ、かなりの部分が「大人」になってしまったのは事実だろう。これは悟りというよりかは、半ば諦めに近い。
[続きを読む]人間、ひょんなことから唐突に行動を起こすことがある。ゴミを踏んだのをきっかけに部屋全体の掃除を始めたり、不快なニュースの見出しを読んだのをきっかけにSNSで憂さ晴らしを始めたりするし、あるいは何の気なしにドライブに行きたいと友人へ言ったらとんとん拍子に話が進んですぐ行くことになったりもする。
今回の私はまさにこれだった。晩御飯を食べ終えた夕暮れに、ふと浮かんだドライブという言葉1。まあ断られるだろうなと思って友人Aに声をかけると、思っていた以上に反応がいい。さらに友人Bも巻き込んで(彼が車を出してくれることになった)、気が付けば品川駅東口に立っている自分がいた。
夜の街へ誘うキャッチの人々を横目に同乗者の友人を待つ。が、なかなかやってこない。暇なので、数日前まで話題になっていた回廊を眺めてみる。柱の上部に設置されている複数台のディスプレイから流れているのは天気予報や無難なものばかりで、一人たりとも画面へ注意を向けていない。まったく、どうでもいいものに対しては誰だって寛容でいられるものだ。
去る金曜日に、6年間在籍していた大学を修士でようやく卒業しました。2年前の学士卒業の時は全く感慨を感じなかったのですが(そのまま院に上がったので当然と言えば当然)、今回は大学を去るためかそれなりに感じるものがありました。
学生生活を、ゆるく振り返ってみます。
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