『閃の軌跡I/II:改 (PS4)』プレイ後の感想


(恐らく)私にとって初めてのファルコムゲーム

RPGというのは始めるのが一番難しい。プレイを始めたらレベリングをはじめ、かなりの時間を費やさなければならない。プレイして即爽快感を得られるアクションや、読み進めるだけで様々な感動を得られるノベルゲームなどと比べると、どうしても時間的・心理的なハードルが高い。プレイにはある程度の覚悟が要求される。

そんなわけで、私は「一応興味はあるから、安いし買っておくか」と、閃の軌跡I:改をPS Storeで購入して以来、数カ月間放置しっぱなしであった。
購入した理由については、何となく軌跡シリーズに興味があったためと、単純に安かったためである。その興味といっても、「そういえば大昔にPSP版の空の軌跡の体験版をちょっとだけやったなあ1」くらいの理由だ。

が、諸事情あって、いい機会だから積みゲーを消化するかとようやく手を出したのが7月半ばのことである。
そして去る7月28日に至ったわけだが、なんと、Iどころか続編のIIをもクリアしたのが28日の午前のことで、たった二週間ほどで100時間以上を二作に溶かしてしまったのだから恐ろしい。つまるところ、ハマってしまったのである。

そんな経緯もあり、たまには感想記事というものを書いてみようと思う。

I/IIの内容を全て含むので、まだプレイしていない人は閲覧しないことを強く推奨する。


ネタバレ注意!

これらは全て一個人の感想であるので、深く考えすぎないように。


総評

まず、この二作に対する総評であるが、私はとても良い作品だったと思う。

学園で仲間と一緒に過ごすぜー、と聞くと所謂なろう系のチープさを思い出すが2、本作は堅実に世界観を作り込んであって、かつ軍の力や政治情勢、身分制などの負の部分にもしっかりと向き合っていたと感じる。
戦争を題材にしたものだと、悲惨さばかりをことさら取り上げたり、あるいは徹底的に美化したりするものが多い中、あくまで士官学院の生徒として中立な立場から様々な場所へ行き、体験し、現実を知るという流れになっていて、その真摯さに好感が持てた。

閃の軌跡IではVII組が仲を深め各地を巡りながら成長していく様を、閃の軌跡IIではとうとう戦に巻き込まれたVII組が自分たちの居場所を取り戻すために戦う様を描いているが、最終的に、争う二者に組み込まれない第三勢力『VII組』として「自分たちの居場所を取り戻す」という、決して大義ではないが確かに存在する幸せのために動いているのがとても熱い展開だと感じられた。
かなり身の丈にあったシナリオなんじゃないかな、とは思う。
そして、私がシナリオ中で一番好きなのは、閃の軌跡IIの後日譚でのリィンの慟哭である。あのシーンを見ただけで私は満足したと言っても過言ではない。シナリオについて、詳しくは後述する。

また、ゲーム自体のシステムについても親切だった。高速モードにすれば広いフィールドもバッパと行動できるし、街ではファストトラベルが使えるし、ロードも長くない。戦闘演出もスキップできる。操作説明やバックログもあり、クエストの状況も漏れなく把握できる。そして何より、マップに目的地が出るのが楽でよかった。稀に「いや、今だけは要らないのでは」というケースもあったが(モノや動物を探すシーンとか)、まあそれはそれで快適ではあったので、プレイヤーとしては好評価3

戦闘の難易度については、NORMALでプレイしていた限りちょうど良いくらいだった。フィールドで相対した敵とは戦うという決まりを設けて4戦っていたが、常時敵のレベルとトントンくらいで、極端に強すぎず弱すぎず楽しめたのではないかと思う。
ただ、ラスボス含め、一部ボスは戦略性が要求され、装備やアイテムの事前準備なしでは厳しいシーンがいくつかあった。リトライ機能はあるものの、直前でセーブしておかないと準備ミスのときにつらいというのを学んだ(一敗)。
敵のレベルを下げてリトライという救済措置もあったが、何か負けた気がするので、どうしようもなくなった時以外は使わなかった。閃の軌跡IIで二回だけ使った5記憶がある。

グラフィックについては、PS3/Vita移植の作品ということもあり期待は一切していなかった。なので、まあこんなものだろうという感想。悪くはないと思う。GTA5みたいなリアルさを求めるわけでもないし。
が、閃の軌跡Iについては、リィンのSクラフトのシメが『姿勢を固定した状態での高速な直線運動』に見えて気になった(IIで動きがつくようになって改善)のと、フィーとラウラの決闘シーンのチープさが目についたのが残念ポイントではあった。といっても、いずれも致命的ではない。
余談だが、完全3D化したのが閃の軌跡からということで、開発側もいろいろあるのだろうと同情してしまった6

シナリオ

身の丈にあっている

シナリオ全体に言えることだが、無理している感じが少ないのがよい。ヴァリマール等、物語の都合上仕方がない強力さはともかくとして、例えばVII組は本気になった結社の回し者には決して勝てず7(倒しきれずに大人の力を借りる)、物語の重要なポイントではほぼ必ず大人の手助けを受けている。
逆に言えば大人がいなければVII組は何もできなかったとさえ言えそうだが、考えてみればそれは当たり前で、入学してわずかしか経っていない学生がプロに勝てるわけがない、あるいは世の中を大きく変えられるわけがない。
主人公たちができるのは、最初から最後まで自分たちの身の回りの延長線上である。特別実習にしてもカレイジャスにしても、目的は自分たちに関係している。大人たちからすればちっぽけに見えることだろう。特に閃の軌跡IIのカレイジャスの目的なんて、言ってしまえば「トールズ士官学院の解放と学生の再集結」だったわけだ。文字通り戦争の最前線で命を燃やしているプロの軍人からすれば、学生たちがなぜそんなものにこだわっているのか分からないかもしれない。
だが、閃の軌跡IでのVII組特別実習や、学院内でのサブ・モブキャラとの会話で示されてきた通り、VII組含めトールズの学生にとって学院はまさに居場所であり、守るべき場所になっていたのだ。もう一度学園に戻ってみんなと幸せな日々を過ごしたい、そんな純粋な願いで行動していたからこそ美しく感じられた。

そして物語の流れという点では、最初はぎこちなかったVII組メンバーが実習を通してお互いを理解して仲を深めていく(閃の軌跡I)というのも、使い古された王道展開ではあるがやはり面白い。
各メンバーのバックグラウンドがバラバラ、というのが良い味を出している。故にお互いがぶつかることも多いわけで。それは例えばユーシスとマキアスの対立であったり、フィーとラウラの考え方の違いであったり。
学生らしい若々しさのある悩みや葛藤だ。そんなメンバーが少しずつ成長していく様を見るのは心地良いものがある。青春だねえ。

青春

「困難な状況が生まれ、それを仲間と共に解決し仲を深める」というのは定番中の定番中の定番中の定番だが、ここはまさしく王道、やはり面白い。それは数々の青春モノが描いてきた歴史が証明している通りである。

青春感が凄まじかったのは、閃の軌跡Iではノルド高原でのリィンとアリサのこっ恥ずかしいセリフ交換8、ヘイムダルでのラウラとフィーの決闘後に憲兵がやってくるシーン9。いずれもありがちでとても良かった。後者はその後マキアスが動揺していたのが個人的に微笑ましかった。真面目な性格上、冷静に考えればこうなるに決まっているって分かっていても止められなかった、止めたくなかったという気持ちと、ああやっちまったという気持ちが入り混じった青く若々しい感情が感じられて、ああ、これぞ青春よ、と私は一人感慨にふけっていた。
閃の軌跡IIでは、状況が状況なだけに青春感を直接感じられるイベントは少なかったものの、別れていたVII組メンバーとの再会シーンは一種の青春だろうし、そもそもカレイジャスで仲間と学院を救うために移動するという体制そのものが青春でもある。世界がすっかり平和になったときに当時のことを思い返せば、それはまるで夕暮れに思いを馳せるような、懐かしさと切なさがありつつも力強さが残る、そんなよい思い出になるのだろう。もっとも、閃の軌跡II終了時点において、それは少し先の話になりそうではあるが。

徐々に強まる不穏な空気がよい

学院でのオリエンテーションから始まり、特別実習を通じて徐々に世界の実情を知っていくVII組。そして、そんなVII組は徐々に不穏な事件に巻き込まれていく。この空気感があるおかげで中弛みすることがなく、バランスがとても良かったと感じた。

最初の特別実習こそちょっとした盗難と器物破損で済んでいたものの、その背後には大きな影が見え隠れしていたものである。それが徐々にエスカレートしていき、拉致、殺戮(未遂含む)、そして戦争と、不穏のレベルが自然に上がっていくのが素晴らしいものだった。
それらは勃発的に起きたものではなく、ちゃんとした背景があり発生している。プレイヤーとしても感情移入がしやすい。特にガレリア要塞の戦闘は、最初にデモがあったこともあり、とても緊張感を持ちながら、かつ「絶対止めてやるからな」と熱くなりながら進めることができた。列車砲のくだりは少し疑問に思った点もあったが(後述)。

閃の軌跡Iの終わり方は個人的にとても好み

これもかなり賛否両論のようだが、私はめちゃくちゃ好きである。
アリサのフラグが立っていたので、ヴァリマールが脱出する直前にアリサがリィンに語りかけるのだが、このシーンの切なさが良い。王道だが味わい深い。

VII組と意図せず離れ離れになり、クロウにも敗北し、無念にも脱出させられてしまうリィンの最後の叫びと無慈悲に始まるエンディング。確かな絶望感がある。物語の中盤というのはこうでなくては。
(続編を前提とした)閃の軌跡Iの幕引きとしてはこれ以上のものはないと感じた。この分割の有無については後述。

ED曲についてはちょっと歌詞がくどいように感じたが、まあここは個人の好みだと思う10

閃の軌跡IIのユミルについて

限定特典のドラマCDでの話を当然のように出すのは流石にやめてほしい(調べるまで知らなかった)。
ここは明確に不満。ファンディスクならともかく、続編なのだから。致命的な内容ではなかったのが幸い。

散らばった学生を取り戻せ! な展開が熱い

王道ではあるが、やはりこういう展開はプレイしていて楽しい。最初は殺風景(といってもVII組メンバーがそこそこいるのでそこまで寂しくはないのだが)なカレイジャスが、徐々に人数も増えて和気藹々としていくのが熱い。
学生をカレイジャスに乗せるにあたり、該当の学生の残タスクを一緒にこなす必要があるが、これも楽しさを増すのに一役買っていた。学生によってはレジスタンスとなって各地で活動を展開しているのだが(彼らの将来は大丈夫か?)、そうしたレジスタンス活動のお手伝いをする、という展開にロマンがある11

それと、散らばっている学生をカレイジャスに乗せた後、乗ってきた学生が必ずしも店や練習場を開いたりとバリバリ役立つ感じではなかったのがかえって良かった。マルガリータやムンクなどが典型例だが、あれだけ生徒がいたら、乗員全員が主人公たちの役に立つとは限らないものだ。ムンクについてはラジオ懸賞で若干の役に立っていたが、なんとも地に足がついた役の立ち方ではないか。こういう現実的な描写が好みである。

閃の軌跡II後日譚で描かれる、リィンの失意と絶望感が最高

正直に白状すると、この部分について書きたいがためにこの感想記事を書きはじめた。
それくらい、私はこのシーンが大好きでたまらない。この一連のシーケンスは本当に素晴らしい。

さあ、考えてみてほしい。閃の軌跡IIでは「VII組メンバーともう一度学院生活を送る」という決意のもと、リィンは「絶対にクロウを取り戻してみせる!」と先輩たちとも約束して、仲間たちと協力し、修羅場を越え、やっとの思いでクロウというかつての仲間にたどり着いたわけだ。そしてクロウと決闘、死闘の末なんとか勝利し、あと少しで目的を果たせるというところで事件が発生、クロウはあえなく死んでしまう。
この時点で絶望感が凄まじいのに、ダメ押しとばかりにクロウが倒したはずのオズボーンが再登場、この内戦自体オズボーンの意図したものだと告げられ、最初からクロウ含めリィンたちはオズボーンの掌の上で転がされていただけだったのだ、と気づく。クロウが今までやってきたことは何だったんだと憤慨するリィン。
さらにここで、動揺に次ぐ動揺を許さず、当のオズボーンはクロスベルを占領、つまり侵略すると言い出すわけだ。さらに結社の計画まで乗っ取ると言う。そして畳み掛けるように、実はリィンはオズボーンの息子だった! という真実が開示される。自分たちがやってきたこと、クロウを取り戻すことは叶わず、それどころか利用されていた。そしてこれからも利用されるのだ、それも実の父親に――。
こんな状況で、リィンはどう思うだろうか。

恐らく、とてつもなく大きな絶望に飲まれてしまったのだと思う。オズボーンという実の父親の前ではあがいても無駄だと。
そんな精神状態で「クロスベルを占領しなければ戦争が長期化しさらに多くの人が巻き込まれる、だから手伝え」なんて言われたら、一見論理は通っていそうだし、『実父』の言葉だから……と判断してしまうのも仕方がないことだろう。
その結果が灰色の騎士であり、オズボーン配下で一ヶ月間動くということになってしまったわけだ。
外伝では、クロスベルのために動くロイドたちを邪魔する側にすら回っている。
そしてクロスベルのために決意を固め走り出すロイドたちを見て、「羨ましいな」と漏らすのだ。
それはかつての自分たちの姿であり、なりそこねた未来の自分の姿なのだから。

そしてトリスタに帰ってきても、虚無感は埋まることがない。どんな理由があったにせよ、学院を占領されたという悲しみを知っていながら、リィンはクロスベル侵略という明確な戦争に加担したのだ。その事実がリィンの心に刺さり続ける。後日譚の冒頭、どこか荒んでいるリィンが描かれている。駅で会ったクレアにも無愛想だ。なぜなら、オズボーンとの関係を知っていた可能性があるから。
仲間と会ってもどこか疎外感がある。なぜなら、仲間たちは進路を決めて学院を去る決断をしたのだから。サラ教官もいなくなる。先輩も卒業する。そしてクロウは死んだ。残るのは自分だけ。
そして自由行動日の前日。生徒会室に向かったリィンは、一人で寝ていたトワ会長の寝言でクロウの名前を聞き、とうとう我慢できずに慟哭するのである。

ああ、これほどまでに美しい絶望があるだろうか! 私はこのシーンを見た時、心の底から感動した。リィンの失意、絶望の深さと言ったら! 自分の周りの仲間たちがみんな去っていく悲しさと、罪の意識と、そして今後も語り継がれるであろう『英雄』としての自分に苦しんだ末に、とうとうリィンの心は決壊したのだ。約束を守れなかったと赦しを請うリィンに対し、トワが優しくリィンの頭を抱きながら赦しを与えるシーンは、美しい、人間の本質の一つを描いていると感じる。これこそが芸術である! 最高だ。この葛藤は何度見てもたまらない。人の弱さと儚さを象徴するシーンだと思う。

世界は失意と絶望に満ち溢れている。この社会を見れば一目瞭然だろう。だからこそ、そういった要素がない楽観主義的なゲームは薄っぺらい。だが、売れるためと称してわざと楽しい部分だけをまとめたゲームやアニメなどが出てしまう現状がある。これは残念なことだ。
反面、閃の軌跡I/IIは主人公であるリィンを徹底的に絶望に叩き落とした素晴らしいゲームである。なればこそ、これから先のリィンがとても気になるし、その先に大きな不安がありつつも応援したくなる。その先に希望があると信じたくなる。絶望が深くなればなるほど希望は大きく美しく輝き、脈打ち、物語の礎となっていくのだから。

この先のリィンがどう苦しみ、どう足掻き、葛藤し、そして超克するのか。閃の軌跡III/IVはこれからプレイする予定なので、楽しみで仕方がない。
私は、一つの魂が燃え上がる瞬間を見たいのだ。

主人公と仲間たち

主人公が完成体でないのがよい

リィンはかなり能力的に恵まれているが、精神面は不安定なところが伺える。家のことや自分の隠された力のことなど、問題を一人で抱え込もうとする。
一見なんでもできそうに見えて、しかし誰かの支えがなければ上手くやっていけない。
そんなリィンが仲間の存在に救われながら、少しずつ成長していくのが微笑ましかった。

そして何より、物語の要所でしっかり絶望してくれる。人間味があり、見ごたえがある主人公だと思う。

閃の軌跡IIのラストを見るに、さらに成長することが予想される。どう成長するのか楽しみだ。

一部のメンバーの影が薄い件は、却って現実的では

ところで、他の方の感想などを見ていると「一部のVII組メンバーの影が薄い、必要性が感じられない」といった意見もあった。確かに、これは否めない。もちろん一切不要というわけではないが、例えばガイウスはノルド編以外では空気みたいなものだし、ラウラやエリオットは親が凄まじいというだけで、本人らと意図して絆イベント・会話を行わない限り、割と存在感が薄い。この点に対する批判は分かるし、これを以て絆イベントを批判したくなる気持ちも理解できる。
曰く、絆イベントを廃止しルートを固定化すればメンバーとの絆をもっと深められるようなシナリオにできただろうに、ということだ。
だが、私はことVII組に対しては、ルート固定化はかえって不自然になるのではないかと思う。
つまり、あまりにも人数が多すぎるのだ。

思い出して欲しい。我々はかつて、あるいは現在進行形で学生時代というものを経験しているはずだ。その際、クラスには少なくとも十人以上の人がいたはずである。その際、クラスメンバー全員との関係を構築し、趣味趣向や動きを把握できていただろうか? 
必ず、全ての人との関係構築は難しかったはずだ。仮に構築できたとしても、どうしても人によって濃淡がつくだろう。
つまり、人数が増えれば増えるほど、現実的に全てのメンバーと絆を深めるなんてことは困難になっていくのだ。絆を全員と結びたいのであれば、せいぜい5人程度が限界なのではないだろうか。
そうでなければ、仮にルートを固定したとしても、プレイ時間が+10〜20時間程度増えることは覚悟しなければならないし(関係構築はそれだけ難しいのだ)、上手く関係ができすぎていて不自然感が出てしまう。
なので、私は確かに一部メンバーの影の薄さを認めつつも「まあ実際そうなるよね」と妙に納得していた12

とはいえ、描き方次第では多少改善することはできたはず(マキアスとユーシスのように、リィン以外のメンバー間のつながりをもっと描く)とは思うので、もう少し日常パートが欲しかったかなという気はする。

天然ジゴロなリィン

また、リィンがあまりにもモテモテすぎるのでは、という話もある。
これに関しては全くもってそう思う。が、そもそもリィン自体の性格がよいし、本人がいろいろ苦労人ということもあり、同性の私でも「なんか無理してないか?」と母性をくすぐられるし、何よりイケメンである。世界観的に貞操観念がどうなっているかは分からないが(現代の自由恋愛観が直接適用できるとは考えにくいが)、まあそりゃモテるだろうという気はする。
中学高校大学と過ごしてきた私の経験上、もっとしょうもない理由で付き合っている人間なんてゴマンといるし、リィンなんて現実に召喚したら漏れなく学校中のアイドルになるだろう。
が、やはり狙っている感があるよね、と言われたら……まあねえ、としか言えないキャラ像ではある。

女性陣がリィン以外に好意を持たないのがおかしい、というのも確かにそうだ。
マキアスやユーシスが女性陣のアウトオブ眼中になるのは何となく頷けるが、中性的なエリオットや男らしいガイウスには恋愛の風が吹いてもいい気がする。このあたりは若干不自然かもしれない。
というか、リィンが女性キャラの頭を撫でまくるのはどうかと思う。イケメンさと性格で許されてる空気はあるよなあ、と感じる。

世界観

技術的な点に注目すると、導力が便利過ぎて思った以上にSFだった。最初はある程度現実と比べて技術が進んでいないのかなとも思っていたが、コンピューターは普通に存在するし、高速移動可能な空飛ぶ巡洋艦もあるし、それどころか二足歩行する巨大軍事ロボットまで出てくるので、もはや逆転しているのだなとすら感じる。

世界観全体はよく練られているなと感心した。初めて学院の図書館二階に向かった際、細かな設定が閲覧できて正直面食らった。ZCFやら獅子戦役やら何やらかんやら。
軌跡シリーズ全体で同一の世界を共有しているのなら、年数を重ねて洗練されてきた設定が生かされているのだろう。よくできている。

それにしてもラインフォルトの大企業っぷりは凄まじい。貴族制度と資本主義の融合はかなり相性が悪そうだが(実際、アリサは苦労しているようだし)。

閃の軌跡から入ったこともあり、世界観を掴みきれていないところもあるので、この項についてはこのあたりにしておく。

戦闘・探索

総評の項で述べた通りなのだが、あえて書くとするならば、思っていた以上にいろいろと考える要素があって楽しかった。
最初は「レベルを上げて物理で殴ればいい」と思っていたものの、レベルよりもクラフトやアーツ、装備による効果が重要だと気付き始めたあたりでいろいろ考えるようになり、戦闘員の選定から装備の確認までじっくり考えつつ楽しめたと思う。

個人的には回避や遅延の効果を重用していた。相手が強くても当たらなければどうということはないのだ。……とか言っていると、相手のクソ強いSクラフトがクリーンヒットして全滅とかあるので怖いところ。

何だかんだアーツよりもクラフトを多用していたような気がする。アーツは付随してくる効果が結構大きかった。

CP管理という点では、閃の軌跡IIで入ったオーバーライズは戦略性が増して良かったと思う。回復マシンでCPが回復しないのは少々面倒だなと思ったりもした。まあ、ザコ敵を倒す理由になっていたのでそれはそれで、という感じではあるが。

雑感

意外と賛否両論?

さぞかし評判も良いのだろうと調べてみると、意外と賛否両論の作品のようで少し驚いた。
確かに私は、仮に凡作以下を掴んだとしても大体の作品は人並み以上に楽しめる自信があるが13、閃の軌跡については純粋によく出来ていると感じたし、そんな批判されるほどか? という気はした。
が、批判の多くは以前の作品を知っている人によるもの(空の軌跡との比較が多い印象)で、なるほどなあ、と思っている。

逆に、空の軌跡はそんなに素晴らしい作品なのか、と興味をそそられた。シナリオゲーには目がないので、これは是非プレイしてみたい。順序はともかく、結果的に両方共楽しめればお得というものだ。

閃の軌跡Iにおいて、一番最初に終盤ではなく中盤のイベントを持ってきたことの是非

閃の軌跡Iの最初のデモでガレリア要塞の戦闘を入れた点について、終わってから考えてみると、正直微妙だとは感じている。ただ、全て否定するわけではない。

物語の導入として、あえて時系列的に後ろのイベントを持ってくるというやり方は好みだし、意義があると思う。なぜならば、それらは所謂「張り手型」のシナリオと呼ばれるもので、ゲームを始めたプレイヤーを一気に引き込む手法として有効だからである14
だが、これはその後の展開における伏線でなければならない。すなわち、いくら序盤に印象的なシーンを持ってきたからといって、それが無駄で終わってしまってはいけない。それは興ざめというものだ。

閃の軌跡Iを最初にプレイした際、私はかなり引き込まれた。周りで人が死んでいる中、学生と教官が中に突っ込んでいくのである。尋常ではない状況だ。盛り上がる音楽もあって、序盤からテンションが高まっていた。
そしてデモの最後に、リィンの叫び虚しく、大きな砲台『列車砲』が発射されてしまう瞬間をプレイヤーは目撃するのである。

こうなると、プレイヤーが気にするのは「シナリオと列車砲との関係」だろう。多くの人は「ああ、これがどう転ぶのかは分からないけれど、生徒たちがこの問題を解決するのが一つのテーマなのだな」と思うはずだ。
しかし蓋を開けてみると、回収されたのは中盤で、それも空砲でしたというオチである。
それについて特に意味があるわけでもない。もちろん背後には悪役もいるのだが、その悪役もすぐに引っ込んでしまう。
その後も特別実習は続くし、果たしてこのシーンを序盤に持ってきた意義とは? と考えてしまうのだ。

つまり、演出があっさりしすぎである。「空砲でした! 良かった! さて、止めに行くぞ!」では肩透かし感が否めない。その後、空砲について特に触れられることもない。そのせいで、この張り手はただの張り手というか、演出上の都合のみで配置されたように思えてしまう。
これならいっそ、トリスタに敵が攻め込んでくる部分を序盤に持ってきた方が良かったのではないだろうか。もちろんクロウのネタバレがないように(場合によっては機甲兵のネタバレもないように)少し演出を変える必要はあるだろうが、そちらの方が伏線の意義としては大きいと思う。あくまで一個人としての意見だが。

総合すると、中盤のイベントを持ち込むならそれなりの理由付けや演出が欲しかった、ということだ。

分割の是非

閃の軌跡Iのラストを見れば分かる通り、見事な分割っぷりである。Iのみで満足するのは稀有だろう。最後に必ずリィンと仲間は離れ離れになってしまう。その因果は変わることがない。
とはいえ前述した通り、私はあのラストがかなり好きなので肯定的だ。あの絶望感がたまらなく好き。が、それは閃の軌跡IIが既に発売されており、必要ならば数分でダウンロード&プレイができる状況だからこそだろう。「まあラストはめっちゃ気になる終わり方だし、さっそく続編買うか」くらいのノリでプレイできるからこそ、ここまで肯定的になれたのだと思う。

もしこれが「続編は一年後です!」と言われていたら、正直ここまで肯定的になれたかは疑問だ。私は閃の軌跡IとIIの切り替え間隔がかなり短かったので、この感想のようにI/IIをまとめて語ることができているが、一年スパンが開いてしまったらここまで熱くなれなかっただろう。

そういう意味では、分割で評判の一部を損していると思う一方、開発は難しいと考えられるし、実際IとIIは分けた方が綺麗にまとまるとも思うので難しい。

結社の設定について

正直、閃の軌跡から入った身としては、結社の動きははそんなに気にならなかった。「いろんな思惑を持った組織が暗躍しているのだなあ」と片付けてしまえるくらいには。が、以前からのファンは結社などの関係性を含めたストーリーが進んでいないことに業を煮やしているように見えた。

まあ、実際そうなのだろう。
私が結社の動きにあまり惹かれなかったのは、そもそも結社の動きがあまりなかったから、と言えなくもない。そういう意味で本作は軌跡シリーズ初心者向けではあるのだろうか。気になるところである。

夏は時間があるので、余裕があれば空の軌跡シリーズもプレイして、結社の存在を自分の中で整理してみたいと思う。

最後に

ファルコムのゲームは初めてプレイしたが、とても楽しめた。閃の軌跡III/IVもAmazonで注文して無事に手元に届いたので、これから暇を見つけてはプレイしていこうと思う15。空の軌跡もやりたい。
ついでに言うと、全く関係がないが、友人から『Summer Pockets(Key)』も勧められているので、夏の間にこれもできたらいいな、と思う今日この頃。


  1. 大昔すぎて体験版の内容はすっかり忘れてしまったが、ゲーム選択前に流れる曲が好きだったのは覚えている。調べてみると「星の在り処」と言うらしい。 ↩︎

  2. なろう系の嫌いなところは、概して主人公や仲間に絶望や葛藤がない点である。 ↩︎

  3. 「さっさとクリアして次に進みたい!」という願いを叶えてくれるのはストレスがなくて本当に良かった。お使い系ミッションだと特に。 ↩︎

  4. 「売られた喧嘩は買う」というマイルールに基づく。ただし、面倒な敵の場合、一旦逃げてから敵が背後を見せた隙にバックアタックを仕掛けてもよい(攻撃先行ができる)という例外規定がある。これを『運用でカバー』と呼ぶ。 ↩︎

  5. 閃の軌跡Iでは利用せず、閃の軌跡IIではステータスを上げながら体力を回復する攻撃を連発してくるクソ中ボスに憤慨して一回、外伝のロイドらとリィンらとの戦闘があまりに運ゲーすぎると感じ、かつ前作未プレイにつきロイドらに思い入れもなかったので一回の計二回利用した。 ↩︎

  6. 「3Dって開発難しいだろうなあ……」と謎の同情をしてしまった。エンジンとか何を使っているのだろうか。自前開発だとしたら凄いなと思う。 ↩︎

  7. 一方で、閃の軌跡IIのヴァルカンやスカーレットのように、生きる目的を失った相手に対しては勝てている。現実味がある。 ↩︎

  8. 恥ずかしい青春感が実に良くて、思わずSHAREボタンを連打してスクリーンショットを撮っていた記憶がある。 ↩︎

  9. 果たし合いはロマンがある。……が、そうした決闘が理由で天才数学者エヴァリスト・ガロアが死んでしまったということを考えたりもすると、やはり現代において決闘が禁止されているのも一理あるような気もする。相手が死なないということが保証できていれば、ゲームのように熱い一コマになるのだろう。 ↩︎

  10. 個人的には気持ちを直接表現しないというか、ちょっと考えさせられるものが好き。『ガラスの巨人(谷山浩子)』とか『夜な夜な夜な(倉橋ヨエコ)』とか。 ↩︎

  11. 他意は無いが、中核派を思い出した。本当に他意は無いが。 ↩︎

  12. こういう点を突き詰めるとただの現実になってしまうので、まさに塩梅が重要というところだろう。 ↩︎

  13. よっぽど人を苦しめる作りにしていない限り、ゲームやアニメや書籍にしても大半の作品は楽しめる。どこか一部でも光る部分があれば「あそこは良かったなあ」と思い返せるからである。お得な性格。ちなみに、書籍に関しては過去に二冊だけ読むのを途中で諦めた本がある。片方は有名な『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(M.ウェーバー 著)』。読んだのが古い本だったこともあり、旧字体の解読だけで疲れきってしまい挫折。もう片方は小学生の頃だったのであまり記憶になく、間違うと失礼なので書名については割愛するが、単純に単調で面白くなかった作品だったという記憶がある。 ↩︎

  14. この手法は特にドラマのように、競合に客を奪われる確率が高いケースに極めて有効である。例えば、ドラマの最初を少し見て「つまらなそうだな」と思ったらピッとチャンネルを変えてしまう、といったことは容易に発生し得る。あるいは、ドラマの最後だけ見て「次回はいいや」と思わせてしまっても問題である。そのため、ドラマは大抵最初や最後にショッキングなシーンを入れて客を奪われないようにする。ただ、本作のように客がお金を出しているゲームのような形態の場合、一度プレイを始めたらある程度は進めてくれることが予想できるので、張り手型ではなく撫で型、つまり導入を丁寧に描く手法も取ることができるはずである。が、ジャンルがRPGであるので、最初に戦闘シーンを入れることで継続率と没入感を上げようとしたのかもしれない。なお、PS4におけるトロフィー獲得数から推測するに、閃の軌跡Iの導入をクリアしていない人は購入者のうちおよそ1割である。これを大きいと見るか小さいと見るか。 ↩︎

  15. 夏季休業に入れば楽なのだが、現在は英文で提出するレポートや試験が待ち構えており、あまり時間がない。あと少しで楽になれる……。 ↩︎